人生100年時代における50代からのセカンドキャリアを考えてみる-その1
今日も先ほどまで違うテーマで書こうと思っていましたが、日経電子版に気になった記事があったのでそれについてお話しします。以前のブログでも「シニア世代の働き方」について書いたことがありますが、今回は少し違う角度からの話になります。
たまたま先日のNHKの番組:クローズアップ現代でも同じようなテーマが取り上げられており、自分自身の体験を振り返る機会にもなったことから、このセカンドキャリアについて考えてみたいと思います。
人生100年時代と言われる中、一つの会社に縛られない新たな働き方、生き方を模索します。
50歳になって考えたセカンドキャリア
まずは、自分自身の体験をお伝えしたいと思います。
私がセカンドキャリアをぼんやりと考え始めたのはちょうど50歳になったときでした。
私がセカンドキャリアをぼんやりと考え始めたのはちょうど50歳になったときでした。
50歳で人事に異動した時に定年退職を意識した
私は前職で長く営業・マーケティング畑の仕事に就いてきましたが、50歳のときに人事の人材育成部門に異動しました。私にとってこの異動は正に青天の霹靂とも言うべきもので、年齢的にこれが前職での最後のキャリアになるであろうと確信しました。
「あと10年か」
それまでほとんど考えていなかった定年退職を強く意識するようになりました。と同時に考えたのが
「この会社を定年退職後自分はどうするべきか」
ということでした。
「あと10年か」
それまでほとんど考えていなかった定年退職を強く意識するようになりました。と同時に考えたのが
「この会社を定年退職後自分はどうするべきか」
ということでした。
意外に性に合った人材育成の仕事
自ら希望した異動ではなかったですが、人材育成の仕事は意外にも楽しいものでした。
自分が企画、運営を行った研修を通じて人が成長するのを見るのがこの仕事のやりがいでした。
「この仕事は自分の性に合っているかもしれない」
という思いが徐々に強くなってくるのを感じました。
思い返せば、遠い昔に一時教員になることを考えた時期がありました。
潜在的に「人に何かを教える」ことを志向していたのかもしれません。
自分が企画、運営を行った研修を通じて人が成長するのを見るのがこの仕事のやりがいでした。
「この仕事は自分の性に合っているかもしれない」
という思いが徐々に強くなってくるのを感じました。
思い返せば、遠い昔に一時教員になることを考えた時期がありました。
潜在的に「人に何かを教える」ことを志向していたのかもしれません。
会社に60歳までいることに疑問を感じる
仕事や待遇に不満はありませんでした。しかし一方で「60歳になる前にセカンドキャリアに踏み出すんだ」という強い意志がありました。
会社を退職した後、70歳くらいまでは働きたいと思っていましたし、その時は転職ではなく個人で独立して何かをしたいと考えていました。
セカンドキャリアとして一人で稼ぐ事を考えた時、60歳になってからアクションを起こすのは遅いのではないかとの思いがありました。
会社を退職した後、70歳くらいまでは働きたいと思っていましたし、その時は転職ではなく個人で独立して何かをしたいと考えていました。
セカンドキャリアとして一人で稼ぐ事を考えた時、60歳になってからアクションを起こすのは遅いのではないかとの思いがありました。
セカンドキャリア構築の足跡
ぼんやりと考え始めた自分のセカンドキャリアですが、具体的にどのような意識変化がありアクションに至ったのでしょうか。
53歳のときに導入された選択定年制度
人材育成の業務にもすっかり馴染んでいた53歳のとき、会社で「選択定年制度」が導入されました。
この制度は55歳から60歳(現在は65歳)までの好きな年齢で定年退職できるというものです。自己都合退職と違い定年退職扱いとなるため企業年金が保証されます(退職年齢により支給率が変わる)。
この制度の導入を聞いた時、「これは自分のためにある」と思い手を挙げることを決意しました。
この制度は55歳から60歳(現在は65歳)までの好きな年齢で定年退職できるというものです。自己都合退職と違い定年退職扱いとなるため企業年金が保証されます(退職年齢により支給率が変わる)。
この制度の導入を聞いた時、「これは自分のためにある」と思い手を挙げることを決意しました。
自分の市場価値を考えて薄ら寒くなった
「60歳になる前に定年退職をしてセカンドキャリアを築くぞ!」
決心は強かったものの、会社の庇護を離れて市場に放り出された時の自分の市場価値を考えた時、薄ら寒くなりました。
「この会社では通用しても世間一般に通用する技能やスキルが何一つない」
セカンドキャリアとして何がしたいのかを改めて考えるとともに、学び直しの必要性を強く感じたのです。
決心は強かったものの、会社の庇護を離れて市場に放り出された時の自分の市場価値を考えた時、薄ら寒くなりました。
「この会社では通用しても世間一般に通用する技能やスキルが何一つない」
セカンドキャリアとして何がしたいのかを改めて考えるとともに、学び直しの必要性を強く感じたのです。
中小企業診断士を目指す
まず、自分のやりたいことは
「何か指導したり教えたりして人や組織を成長させる」
ことであることを再認識し、経営コンサルタントの国家資格である「中小企業診断士」を目指すことにしました。
「53歳で勉強を初めて55歳の時に資格を取得すると同時に会社を定年退職しよう」と心に決めアクションを起こしました。
幸運にも計画通り55歳で資格が取れたので、同じ年に会社を定年退職しました。
「何か指導したり教えたりして人や組織を成長させる」
ことであることを再認識し、経営コンサルタントの国家資格である「中小企業診断士」を目指すことにしました。
「53歳で勉強を初めて55歳の時に資格を取得すると同時に会社を定年退職しよう」と心に決めアクションを起こしました。
幸運にも計画通り55歳で資格が取れたので、同じ年に会社を定年退職しました。
さいごに
きっかけは社内異動ではありましたが、ほんとに「なんとなく」考えてみたんです。最初はあまり深く考えていなかったのですが、時間を経てその思いは強くなり行動を起こすに至りました。
思いだけでなかなか行動に移せないことも理解しているつもりです。何かの後押しが必要なのかもしれません。
自分のことだけで紙面が尽きてしまいましたので、次回この続編を語ります。
兵庫県芦屋市のライスブック・コンサルティングファームでは、神戸市や芦屋市、西宮市を中心に経営コンサルティングや人財育成のための研修プログラムの実施などの事業を展開しています。お気軽にご相談ください。
もう1つのホームページでも経営に役立つヒント満載のブログを書いています。
ご興味ある方はこちらからご覧ください。
思いだけでなかなか行動に移せないことも理解しているつもりです。何かの後押しが必要なのかもしれません。
自分のことだけで紙面が尽きてしまいましたので、次回この続編を語ります。
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